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同志社がスポーツ界に名を留めるようになったのは、明治24(1891)年であるから21世紀に入ると110年余りを経過することになる。同志社はスポーツ揺籃期といえる明治、大学スポーツ開闢の大正、戦争に明け暮れた昭和と、それぞれの時代的な経緯のなかで活発な生命力を維持してきた。この間の同志社スポーツの歴史は「同志社スポーツの歩み」[昭和35(1960)年編集]、「同志社大学体育会史」[昭和43(1968)年]と「体育会記念写
真集」[昭和50(1975)年編集]に記録して残されている。いずれも貴重な記録がもりこまれ、同志社スポーツの関係者には得難い書物になっている。
その後、50年以上の歴史をもつ部では独自の部史を編纂しているが、同志社スポーツという立場から全体をまとめた記録はない。
同志社スポーツの歩みを残すには、事実をストレートに伝えることと、その検証が大切だが、明治生まれのOBはいうに及ばず、大正生まれの人も記憶が薄れがちの齢をかさね、昭和という戦争にまみれた時代にあった同志社スポーツの苦難な姿などを21世紀に伝えるために、時を失してはならない時期になったと思える。
稽古照今、「いにしえを稽えて、いまに照らす」という言葉が古事記の序文にある。いまを生きるには、先人たちの残した行動に学ぶことが必要であるというのは、歴史の要諦である。今を“虚構の時代”という人がいる。人生の目標を描くことがむつかしい不透明な時代で、自分が到達し、実現する理想としての人間像に自信を持てない人が多いといわれる今日、わたしたち同志社スポーツのOBは信念を持って歩んだ道を直筆してスポーツの道を志す後輩に残すことが必要である。頑固親父が家訓を躾けるような態度が必要で親切かもしれない時と場合もあるだろう。いずれにしても、同志社スポーツ自体が“虚構の時代”にのめり込んではならない。
明治23(1890)年の1月23日の午後2時20分、校祖新島は永眠された。享年47才である。
「同志社スポーツの歩み」の初版によると、翌年の明治24(1891)年に野球倶楽部と端艇倶楽部が同志社に誕生して、日本のスポーツ史に同志社が第1歩を踏み出している。
わたしたちスポーツユニオンはこの事実を偶然の事態と思いたくはない。同志社スポーツは新島先生の遺言といえる「同志社大学設立の旨意」を実現するために誕生したのだと考えたい。それは良心、自由、平等、自主独立、自治の精神をスポーツによる個人の人格形成の根底におき、徳性を養い、品性を高め、良心を手腕に運用して自らの運命を切り開き、それぞれの特性を発揮して社会の発展に貢献することである。
新島先生はこのような人格形成をキリスト教主義教育によって実現できると信じられた。われわれスポーツマンには、キリスト教の理念を生活の信条とするほど深くキリスト教の教えに接する機会をもてなかった者が多い。しかし、スポーツマンとして厳守すべき信条は、Triple(3つの)Fイニシャルに現される精神だと考え、日常生活の自己管理に努めている。
1 Fair Play(真実一路)
2 Friendship(善隣友好)
3 Fighting spirit(真摯敢闘)
新島先生が竹越与三郎に宛てた有名な書簡の一つに「男児一戦して巳む勿れ、再戦して巳む勿れ、刀折れ矢尽きて巳む勿れ、骨摧け血尽きて巳むべきのみ」という壮烈な言葉がある。これは単なる競技に対する激励の言葉ではなく、社会の正義即ちフェアープレィの精神を阻むあらゆる行為、不合理な規則や規制、フレンドシップを阻害するイジメや差別
など、人間の自由と平等にかかわるすべての問題に対するファイティング・スピリット、敢然たる挑戦を教えられたものと思う。
Triple Fの精神が揃わなければ競技スポーツが成立しないのはいうまでもないが、わたしたちはこの3つの精神は新島先生の教訓そのものであると考えている。このスポーツマン・スピリット、即ちスポーツマンとしての徳性をスポーツの場にとどめず、社会生活の起居にまで自然にあらわれる人格に成長することを念願するのである。
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