アーモスト大学と体育: 新島はアーモスト大学が創立されて半世紀近く経過した1867年に入学した。その間、アーモスト大学の歴代総長は総てが牧師の経験者であり、卒業生の40%余りが伝道者になっていると伝えられるから、ピューリタニズムの影響を強く残していることは容易に理解できる。しかし、体育学と衛生学を教育科目に取り入れ、4年間を通 じて体育を必修科目とした最初の大学であるということは、リベラル教育の原点が何処にあるのかを暗示するものであろう。

 1860年(孝明天皇在位)頃、アーモスト大学にはアメリカにおける体育とスポーツの先覚者であるエドワード・ヒッチコック博士を中心に優れた研究スタッフがいて、当時としては世界で最も進んだ設備を備えたバーレット体育館を持ち、保健体育を教科に取り入れ、立派な施設を十分に使って身体の教育を行なうと共に、行き届いた健康管理をしていた。新島は父民冶への書簡でこの体育館について「珍奇をあつめ置所(ジムネージャム)等有之」、「只々学問を出精いたし、日に一度ツ々彼ジムネージャムに参り球をころがし色々の遊びを致し候」と言っている。珍奇とは体操用具の木アレーで、球ころがしはボウリング、クロッケーのような球技であったと思われる。また、アーモスト・プリンシプルとして決められていた方針にしたがってクラブ活動も経験したと思える。それは学生のリーダーを中心とするクラス単位 のスポーツ活動であり、クラス対抗の競技も盛んに行なわれていた。このようなスポーツの自治組織と、それらの活動を通 じて結ばれる深い人間のつながりは、新島の教育理念に大きな影響を与えたに違いない。

 新島は天保14(1843)年に新島家の嫡男として、安中藩の江戸藩邸で誕生した。安中藩主板倉勝明は見識卓越した当時一流の学者として知られ、尚武の気風も非常に高く、人智の啓発と心身の鍛練を尊重し、藩士に勉学と共に撃剣と乗馬術の日課を命じている。このような藩命の下に11才から16才まで武芸にも専心した新島は、当時としては人並み優れた偉丈夫といえる堂々たる体躯をそなえていたようである。
▼ア−モスト大学の略図

 新島の健康法: 「予は日本に在りし日は身体極めて壮健なりしも、この国に渡米後多少健康を損ないしが__」と述懐している新島は、長い期間にわたる心身の酷使から次第に身体の不調に苦しむようになり、帰国後も禁酒禁煙の摂生を守るとともに、健康の維持になみなみならぬ 注意を払っている。「このような事業(キリスト教主義大学の設立)に従事しようと欲すれば、健康なる体力を必要とする。御意にかなうならば私に健康を与えてくださいと祈っております」と言われ、生徒にも「あなたも少年として浩然の気を心に留め、勉強の余暇には日々二、三里を散歩し、山野を遊行して浩然の気を養いなさい」と教え、自らも生徒と共に散歩や山野の遊行、加茂の河原でのランニングを欠かさなかった。そのほかにも朝夕寝床を離れるなり腕立て屈伸をしていたようで、たまたまその場に行き合わせた生徒が、その様子を「両手と両足を畳の上につけ、よつ這になって体を宙にし、米を撞くように体を上下に動かされた」といっている。 

 このように健康と体育・スポーツに深い理解を持った校祖新島のもとで、宣教師兼教師であるアメリカ人が教育に従事し、自ら体験したスポーツやゲームも教育の一環として教えたので、それらが急速に初期同志社の生徒の間に広がっていったのである。

 同志社女学校のスポーツ: 同志社女学校は明治9年10月に同志社分校女紅場として教育を始め、翌年4月に開校が認可され、9月に同志社女子学校と改称した。開学以来、体育・スポーツに対して非常に積極的であったことは注目に値する。女学校で体操をすれば「腕が太くなり、みにくくなる」と父兄から抗議されるような時代に、発足時から運動場をつくり、体操用具を備え、ローン・テニスやクロッケーなどの球技をしていただけでなく、明治20年にはミス・ウエンライトにより音楽、唱歌とともに体操が教えられている。バスケットボールは明治24(1891)年にアメリカで始められたが、その3年後に同志社女学校の教師が生徒と一緒にプレイしている記録があり、大正3年には神戸女学院、梅花女学校との間で第5回3校連合庭球会を開催しているので、明治末期にはテニスのクラブ活動があったようである。

 大正7年には専門学部と普通学部を含めた学友会が発足した。学友会は職員を特別 会員、生徒を普通会員とし「会員の知徳を修養し、身体を鍛錬し、相互の交誼を厚くする」ことを目的とした諸活動の統轄団体である。

 明治26年には文部省令で「女子生徒の競争遊戯会は不適当なり」と決めつけているが、このような時代に体育・スポーツ・レクリエーションに対する同志社全体としての教育的先進性が十分にうかがえるところである。

 Triple(3)F. の精神: 同志社学園に浸透するこのような新島の教育理念が、同志社のスポーツ精神の源泉となっていることはいうまでもない。それは視野の狭いスポーツ専門の技術者を養成するのではなく、社会人として自分の良心に基づく価値尺度を持ち、自治自立の精神で主体的に行動できる人間の育成、いわゆる「良心を手腕に運用する」人間の育成を目的としている。 同志社スポーツの良心はTriple Fで表わすことができる。それは“Fair Play・Fighting Spirit・Friendship”のイニシァルで、ルールを尊重すること、力一杯戦うこと、戦いが終われば互いに友情で結ばれて相手の敢闘を讃えあうこと、このTriple F精神の全体がスポーツマン・シップであり、それは同志社がめざす教育精神に通 じるものである。

 同志社スポーツ・ユニオンは体育会各部のOBで組織されている。体育会に所属する各運動部は学生とOBが選んだ部長と監督を中心にして、それぞれ独自のスポーツ活動に精進しているのだが、部長も監督も大学から任命されたのではないから、独自の立場で学生と接することができるのも自主自立を尊重する同志社スポーツの特質であり、スポーツ・ユニオンはこのような特質を尊重しながら、学生たちの行動のすべてが同志社スピリットに昇華するように物心両面 から援助を与えている。
目次のページへ